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Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.93
日本緩和医療学会ニューズレター
Nov 2021  93
よもやま話
脳神経内科からリハビリテーション医になった医師が見たがん緩和医療の一端
〜今後の脳神経がん緩和医として〜
順天堂大学 保健医療学部
伊澤 奈々
千葉県立保健医療大学 健康科学部リハビリテーション学科
安部 能成



 10月の初めにアラフィフを無事に迎え、医師としても20年を越えました。最初の10年は脳神経内科医として、次の10年は諸事情ありリハビリテーション科医として働きました。
 脳神経内科にとって、がんはほとんど診ない領域です。脳神経内科で緩和医療というと、10年前はALSの呼吸器管理や呼吸苦に対するモルヒネの処方くらいしかなく、難病の患者さんは療養病院で亡くなっていくことが多く、緩和医療から最も遠い存在であった気がします。
 それがこの10年、リハビリテーション科で脳血管、運動器、呼吸器、心大血管、廃用のリハビリに日々関わるようになった上に、がんリハビリテーションが数年前から保険収載され、がん患者さんと非常に深く関わるようになったのです。この出会いは大きく、初期から末期までのがん患者さんに早期から関わり、驚くべき出来事がたくさん起こりました。
 骨転移が見つかった乳がんの40代女性。治療を拒否していて、多発骨転移でひどい疼痛を訴えていました。麻薬を処方し、放射線治療、抗がん治療も受けることになり、痛みは短期のうちに治まりました。しかし、それから3年くらいだったでしょうか、全身の骨に転移して、痛みから解放されることがなくなり、麻薬も相当量使っていましたが疼痛のために日々泣いて過ごす状態になりました。「痛みを和らげるために、少しぼーっとするようなお薬をつかいませんか?」と鎮静を提案すると、「今眠りについてしまったら、二度とこの世界に戻ってこられないっていうことですよね?」と言われ、はっとしました。私たちが良かれと思って提案していることでも、がんの本当の末期の人にはありえない選択であったようでした。それから数日後、患者さんは痛みの中で亡くなっていきました。何がいいのかは百人十色なことを学びました。
 2症例目は両下肢の感覚がわずかと左足だけが僅かに動く急性発症の対麻痺の患者さんです。採血データからすぐに多発性骨髄腫からの脊髄圧迫による脊髄麻痺が疑われました。血液系のがんの場合、腫瘍が柔らかいので、すぐにステロイドや放射線療法を始めれば、目覚ましい回復をされる方がいらっしゃいます。本例も他院受診して直ぐに当院転送になり、その日のうちから治療が始まったら、3日で片足は、動揺はあるものの膝立てができるようになりました。全く動けない対麻痺の患者さんは普通、化学療法はしませんが、みるみる症状は改善し、2週間で車椅子に乗れるようになり、3週間経たないうちに立位練習までできるほど運動機能は改善し、2週間過ぎより化学療法が開始できました。リハビリテーションを続けたら、T字杖歩行までできるようになりました。結局、自家移植ができることになり、無事に生着して現在も通院中でいらっしゃいます。
 3症例目は、がんの脊椎転移からの脊髄圧迫で対麻痺になった大柄の旦那さんを自宅で世話をしてあげたいと、リフターを導入して自宅に帰ることができた小柄な奥さんご夫婦。リフターでひょいと車椅子に移せる姿と、この病状での自宅退院の意気込みに本当に驚きました。
 失敗例も成功例もたくさん経験し、経験値をあげて来年4月から諸事情で脳神経内科医に戻ることになりましたが、この間、脳神経内科領域でも変化が起きているように感じます。例えば胃瘻を作る人がめっきり減ったことです。これまでは本人がもともと嫌がっていた症例に家族が承諾して胃瘻を作ることがすごく多かったように思いますが、脳血管リハビリテーションをみていても、減ってきたように感じます。
 しかし、ALSは別ですが、特にパーキンソン病を中心とした神経難病だけは自宅で介護するという家族にはなかなか出会いません。徘徊で困っている認知症のご家族も然りです。これは仕方ないことだと思っています。患者さんと介護者の共倒れや徘徊中の事故死などもたまに耳にします。脳神経内科医としてこれまでの経験を生かして、今後どのような脳神経がん緩和医になれるか、ますます勉強と経験が必要と感じております。

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