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Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.90
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2021  90
よもやま話
コロナ禍の一断面−学園風景の喪失状態
千葉県立保健医療大学
安部 能成

 思い起こせば昨年、2020年1月末頃からだから、かれこれ1年が経過しようとしている。Covid-19(以下コロナ)の感染拡大により、社会生活に甚大な影響が出現している。これまでの報道によると、大きな2つの感染者数増加という波が通り過ぎた。現在は3つ目の波の中に入っているようだが、一向に収まる気配がない。
 所属している大学でも少なからぬ影響が出ている。昨年度末の卒業式は、それ以前のものとは様相が一変した。学長の式辞、在学生の送辞もなければ卒業生による答辞もない。国家試験に疲労困憊しながらも盛装して登校した、卒業認定済みの4年生だけが各教室に散り散りに配置され、卒業証書を受け取るだけ。謝恩会もなければ、追い出しコンパもなく、晴れの日なのに寂しさはぬぐい切れなかった。
 年度が替わると、さらに事態は深刻となり入学式は中止。年頭の必須行事である在校生オリエンテーションは自前のコンピュータを通して情報伝達され、旧知の顔が合うのは、分散実施の健康診断の際だけとなった。新入生に至っては、健康診断で初めて大学に足を運んだが、顔見知りがいないどころか建物の配置も分からない。加えて、頼るべき案内係は、マスクにフェイスガードに手袋装着という物々しい出で立ちである。
 大学の教室で気楽に受けていた講義も「遠隔授業」という耳慣れない形式となり、スマホの電池切れが続出した。ネット環境が悪く、満足に授業を受けられないことが判明したばかりか、送信されてくる少なからぬ講義資料をプリントアウトするのに紙もインクも枯渇し、それを入手する資金も底をつく有様。コロナの影響でアルバイトができなくなり、学生の本分である学業の継続が危ぶまれる、という懸念が現実のものとなってきた。
 居眠りしていようと、ほかの仕事をしていようと一切お構いなしの一方通行的情報伝達となり、何より重要な情報交換であったヒソヒソ話ができなくなった。次第に不満が蓄積し、「これまでの通常授業と同額の授業料はおかしいのではないか?」という抗議すら出始めたが、誰も取り上げようとしない、という極めて異常な事態である。
 こんな状況でも若い人たちの瑞瑞しい感性は喪失せず、講義した我々の方が驚かされる事態も少なくない。最近の遠隔講義へのフィードバック・シートによると、
「特に印象に残っている点は,“訪問リハビリは対象者を看取ることができる仕事である”という点だ.病院で働いている作業療法士は,いかに早く退院させられるか,方向性は施設か自宅か,が常に頭にあり,その中で身体機能を回復させることを目標としてリハビリテーションを提供しているイメージがある.よって,対象者が最期までその人らしく生き抜く姿を見届ける機会は少ないと考えられる.しかし,訪問リハビリでは今ある生活の中での困りごとを知ることができると同時に,その人がどのような暮らしをしたいかを聞き,最期までその人の要望を聞き入れながらリハビリを提供している.このことにより,対象者本人とご家族がその人らしく,QOLを保ち全うに生き抜くことの手助けをしていることが分かった.“看取る”ということはその方の亡くなる姿を看ていくことにもなるが,その方の生き様を見届けていることを誇らしく語っていた先生の姿はとても印象的であった.この看取るということは全ての作業療法士ができることではなく,訪問リハビリだからこそできることであり,とても関心を持った.また,“対象者の要望を優先的にしている”ことも印象に残っている点だ.対象者が生活しやすいように医療的な面で提案した考えが,対象者がその方らしく生活するために却下されることが普通に起こりうることには驚いた.」
 なるほど、教員として臨床経験こそ学生に上回っているが老化には抗えない。感受性の点では、若さにかなわないところがある。ベテランの重要性が言われることもあろうが、これからの社会は若い人たちのものである。たとえ、コロナに振り回された状況において制約の多い遠隔授業に頼らざるを得ないのであっても、その時間を有意義に共有すれば、上述のような心動かされるフィードバックを得られることもある。
 このことを踏まえれば、先の世代としての教員の仕事の中核は、後輩達に経験者の持つ知識と技術をできる限り伝える点にあり、その本質は、まず「やって見せる」にある。次の世代に託せるように、平素から活動することこそ歴史的教訓なのである。

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