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Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.86
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2020  86
よもやま話
最後の贈り物 〜父親から娘へ
愛和病院 緩和ケア認定看護師
小木曽 綾子

「あーやだやだ。そんな話は聞きたくねー。」
 前医の退院時共同指導にて、A氏の厳しい病状説明になると、娘は椅子を蹴飛ばし、手に持っていた物を投げつけた。
 A氏は、70歳代の男性で数カ月前に肺腺癌 多発臓器転移と診断された。るい痩著明で体力低下しており治療ができず、「できるだけ長く自宅で暮らしたい」との思いから当院へ紹介となった。
 30歳代の息子と20歳代の娘がおり、娘が3歳の頃に妻と離婚し2人の子育てはA氏が姉の力を借りながら行ってきた。現在は娘と二人暮らしで、東京で暮らす息子とは長い間連絡をとっていなかった。
 前医を退院してから数日は何とか自宅で過ごすことができていたが、食事が摂れず、下肢に力が入らなくなり私が勤務する緩和ケア病棟へ入院することとなった。ステロイドの注射を開始すると、少し食べられるようになり車椅子での送迎によりトイレにもいかれるようになった。
 A氏はこだわりが強く、自分の事は自分で決めたい方であり、納得しないと受け入れず、くち(言葉遣い)は悪いが、ユーモアもあり冗談も好きな方だった。
 入院当初、娘は険しい表情だったが、毎日夕方には面会に訪れ、病室から本気で言い合いをしている声や笑い声が響いていた。だんだん私たちにも慣れ「自分は10代の頃からヤンチャをしてきて、父親にはすごく心配や迷惑かけてきた。父が居なくなってしまうことを考えると気がおかしくなりそう。兄は全く当てにならないし毎晩ビールを飲んで気を紛らわしている。飲まなきゃやってらんない。でも、父の前では絶対に泣かないと決めている」と話してくれた。
 数日後、A氏は末梢のチアノーゼが目立つようになり、「もうダメだ。あんた達にまかせるよ」と自ら話した。
 状態の変化を感じた私は、娘に「何時もより少し早めに面会に来て欲しい」と連絡すると、血相を変えて飛んできた。そして、病室に入るなり激しい震えと過呼吸を起こし、腰を抜かしながら父にすがり付き「お父さん」と震える声で呼びかけた。しかし、逆に娘の様子に驚いているA氏を見て、娘は安心する一方で、「意識あるじゃん。意識あるなら言ってよ!」と私達に怒りをぶつけた。するとA氏は、「お前こんなに良くやってもらっている人達を怒るんじゃない」と優しく娘をなだめた。そして、娘が退室したのを見ると、「ダメだな〜あいつは。何時までも成長できないな。いつかこんな日が…もうすぐこんな日が来ると伝えておいたのに…」と切なそうな表情をみせた。その晩より娘さんの付き添いを勧めた。
 A氏の血圧は低いまま、末梢のチアノーゼは増強していたが、娘に「こんなのが付き添いじゃ、なお皆さんに迷惑かける」など笑顔で冗談を言いながらも、驚くほど2人は穏やかに過ごすことができた。しかし、付き添いから3日後、徐々に呼吸が弱くなると、娘は「嫌だよ。看護師さん何とかして!」と再びパニックになった。
 すると、まるで落ち着けと言っているかの様にA氏は娘の手をしっかりと握った。娘は泣きながら「お父さんの子供で幸せだったよ。ありがとう。愛しているよ」と伝えた。A氏は意識がもうろうとする状態の中、その言葉に応えるかのように娘をしっかり抱きしめ力尽きた。
 当初、私は「父親の死」を目前にしながら、娘さんだけでは乗り越えることができないかもしれないと思っていた。しかし、付き添いした数日間は、父親であるA氏が娘を案じつつも、自分の死を娘が乗り越えていけるように準備してくれた「贈り物」だったように感じた。それぞれの家族力を改めて実感するとともに、それを信じてサポートしていくことの大切さに気付くことができた貴重な事例だった。

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