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Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.82
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2019  82
よもやま話
興福寺の阿修羅像は緩和ケアの心を表している
京都民医連中央病院 緩和ケア科
荻野 行正

 奈良県興福寺の阿修羅像は3つの顔を持っている。中央の顔の何とも言えない切なげな表情が、多くの人の心を惹きつける。この阿修羅像のまなざしや表情については、色々な人がさまざまなことを言っている。しかしながら、阿修羅像の6本の手については、その表情ほどには語られることがない。「この6本の手は、実は緩和ケアの心を表しているのだ」と言うと唐突に聞こえるだろうか?


(スケッチ:著者)
 阿修羅はインドの戦闘の神アスラに由来すると言われている。一説によれば、ささげた両手には日輪と月輪を、真ん中の手には弓と矢を持っていたという。が、興福寺の阿修羅像は、手には何も持たず、戦闘の神からはほど遠い穏やかな表情をしている。何も持たずに木の枝のように上肢を拡げている方が、イメージの自由度が大きくなる。すなわち、これらの手の恰好は何を意味しているのだろうかと想像する余地を私たちに残してくれているように思われる。
 緩和ケア病棟で仕事をするようになってから、興福寺の阿修羅像を見にいく機会があった。それまでにも何度か阿修羅像を見ていたのだが、そのとき初めて、阿修羅像の上肢に目が留まった。
 「支える、抱える、祈る」
 これは緩和ケアに求められていることなのではないだろうか、と思い至ったのだ。その後、興福寺国宝館のミュージアムショップで買い求めた『阿修羅を究める』(興福寺・監修, 初版.小学館, 2001)という本の中の「阿修羅と現代人の癒し」(立川昭二)という論考に、同様の解釈を見出した。「この三組の手はやはり苦しみ悲しみを共に支え抱き祈る手である」と。
 「抱える」ためには、私たちは患者に近づかなければならない。すなわち「寄り添う」必要がある。「支え、祈る」ことは離れていてもできるかも知れないが、「抱える」ことだけは、患者に「寄り添わ」なければできないのだ。
 ここで思い出されるのが、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩の一節である。

 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ここでは、「行ッテ」という言葉がくり返されている。これは、まさに「寄り添う」という行為に他ならない。緩和ケアにおいては、患者のベッドサイドに「行ッテ」、ときに手を握り、ときに傾聴するという行為が「寄り添う」ことではないだろうか。ロジャー・パルバースは、宮沢賢治の「『行ッテ』という言葉は、彼の生涯を見事に象徴する大切な言葉」だと述べ、「ただ口先で相手の幸せを祈るのではなく、自分の体を使って相手のためになにかする。そうしないと相手は幸福にならないし、相手が幸福にならないと自分も幸福にはならない」と指摘している。(NHKテレビテキスト 100分de名著, 2011年12月号)

 興福寺の阿修羅像が作られたのは天平時代。聖武天皇の妻、光明皇后の命によって作られたとされている。この時代の日本は、各地で飢饉・疫病が絶え間なくくり返されていたという。先の立川昭二の論考の中では、「そうした時代、人びとの病苦や悲嘆を受け止め、共に苦しみ、共に悲しみ、その苦しみ悲しみを癒してくれたのが、阿修羅だったのではないか」と述べられている。したがって、阿修羅のまなざしからは、ひたすら苦悩を共にしようという「共苦」、悲しみを共にしようという「共悲」の意思が伝わってくるのだという。
 たとえ、痛みやその他の症状を良好にコントロールできて患者を「支える」ことができても、やがては死に至る病を患っている患者の「苦悩」は解消されないかも知れない。そのようなときには、患者に「寄り添い、抱え」、ひたすら「祈る」ことしかできないのではないだろうか。
 このようなことを考えながら阿修羅像に相対していると、阿修羅の六本の手が、「患者の苦痛を支えつつ、患者に寄り添い抱えながら、ひたすら祈っている」ように見えてきて「緩和の心」を表しているように思えてくるのである。

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