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Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.82
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2019  82
巻頭言
Advance Care Planningの拡がりに向けて
岩手医科大学 緩和医療学科
木村 祐輔

 「人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス」と説明されるACP(アドバンス・ケア・プランニング)は、2018年3月に改訂・公表された「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」にその概念が盛り込まれたことを契機に、現在、各地域においてACP導入が急速に進められています。わが国には「縁起でもない」という言葉がありますが、これは言霊信仰から来る日本特有の考えだと聞いたことがあります。私たち日本人は、死や死にまつわることを日常的に忌避する空気の中で過ごしてきたようです。こうした文化的背景を持つ私たちが、人生の最終段階について正面から話し合おうというのですから、私も含め多くの方々が、ACPをどう受け止め、どう対応すれば良いか戸惑うのも当然なのかもしれません。一方で、超高齢社会、多死社会に突入していることを考えると、1人1人の価値観を共有することに主眼を置くACPの導入は、確かに必然であると理解もできます。私たちはこの流れにどのように対応すれば良いのでしょうか。そのヒントを、私は以前、ある新聞報道から得ました。ACPの先進国であるオーストラリアのある州では、教育を受けた医療者が高齢者のACPに対応する仕組みが構築されており、初回の話し合いに実に1時間30分以上掛けているとの記事でした。初回に1時間30分。皆さんはどのように感じられるでしょう。この記事を読んだ時に私が抱いたのは、ACPとは、機械的に何かを決めるために行う一種効率的な作業などではなく、むしろ時間をかけたコミュニケーションによる、極めて人間的な触れ合いなのだ、という思いでした。同時に、ん?これは決して特別なことではないぞ、とも感じました。緩和ケアを日々学び担っている私たちは、患者さんとの関わりの中で、その方の辿ってきた道について話を伺い、仕事に対する誇りや、ご家族への想い、あるいは趣味の話など、実に様々な話題に触れています。その1つ1つが、その方の人生観や価値観を形作る大切な要素であり、これら要素の集合として「その人らしさ」が私たちの前に立ち現れてくるのだと考えます。こうした対話の繰り返しを経て、「縁起でもない」と言われかねない死にまつわる繊細な話題など、その方の心の淵に触れることが許されるのだろうとも思っています。私たちが大切にしているこうした関わりは、価値観の共有を目的とするACPそのものだ、というと言い過ぎでしょうか。少なくとも私は、緩和ケアとACPが共通のレールに乗る概念なのだと感じたことで、当初抱いたACPに対する戸惑いが随分と和らぎました。もちろん、それを一般化することが最も難しいのだ、との指摘もあるでしょう。そう、まさにその点に、私たち医療に携わる者たちの「覚悟」が要求されている気がしています。 時にACPを、まるでDNAR(心肺蘇生を試みないこと)を確認する仕組みであるかのように話される方がいてオヤオヤ?と思うことがあります。私は、ACPという新しい概念が歪んだ形に成長する未来は見たくないなあと思っています。緩和ケアを学ぶ私たちが、「ありのままのその方を尊重する」という緩和ケアマインドを胸にACPの発展に臨めば、将来、日本文化の土壌の上に真っ直ぐに育つACPの姿を見ることができるのではないだろうか。そう考えたら少し勇気が湧いてきました。 皆さんはいかがお考えでしょうか。

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