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Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.78
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2018  78
よもやま話
東京にいる息子症候群
東北大学病院 緩和医療科  田上 恵太
 2017年4月、仙台出身の私は、故郷にある本職に国立がん研究センター東病院から異動してきました。前職在職中は、葛飾区や柏市といった仙台とは異なる文化の中に住んでいました。バラエティ番組(○曜から夜更かし、など)を見ていると、葛飾区はあまりよい印象を持たれていないようですが、寅さんや両さんをはじめとした日本人の象徴を輩出するような人情にあふれた楽しい街でした。
 仙台での緩和医療の臨床は、緩和ケア病棟、緩和ケア外来、緩和ケアチームと以前と大きな変わりはありませんが、医療機関の文化、そして患者さんの文化や価値観も異なるので、日々新鮮な気分で診療を行っています。しかし、地域の抱える大きな問題とも直面化しています。いわゆる「東京にいる息子症候群」、仙台には患者さんや年老いた配偶者や兄弟のみが居住し、キーパーソンとなりうる若い家族は、東京をはじめとした首都圏にいる状況です。
 子供たちが親と離れて暮らし、働く構図をもちろん否定するつもりはありません(自分もそうでしたし)。離れて暮らしていても、家族内で支援の形をよく話し合い、体調が大きく変化した際や大事な話し合いを行う時、意思決定・支援が必要な際には仙台に戻ってきてくれるような家族もいます。しかし、仕事や距離を理由に、電話での面談を求めてくる、ひいては患者さんや配偶者(年老いた)と面談で決めてきた内容が離れて暮らす家族の意に反した際に「本人たちの希望ではなく、今から話す方針を優先してほしい」と求めてくることもありました。また患者さんが残された時間を自宅で過ごしたいと希望して在宅療養の準備を進めていても、離れて暮らす家族が自分たちの心配を理由に希望や調整をひっくり返すこともありました。関東で診療していた時も、患者は独居で家族が遠く離れて暮らすようなケースはありましたが、なんだかんだ家族の誰かは首都圏には住んでいることがほとんどでしたし、案外(?)大家族がたくさんいました。仙台でさえこの状況ならば、より首都圏から離れた東北地方では、「仙台にいる息子症候群」と言われているかもしれません。
 20年以上前、Decision making in the incompetent elderly: "The Daughter from California syndrome".(Molloy DW, et al. J Am Geriatr Soc. 1991)という米国の報告があります。故郷を何年も離れていたカリフォルニア在住の娘が年老いた親が病気になった時に現れ、セカンドオピニオンといった医療に関する意思決定を主導し結局両親は従うも、患者自身はなぜその判断を行うのか、そして医療を受けることに不安を感じてしまったという事例です。そこから「カリフォルニアから娘症候群」は、終末期など命の危機に瀕した際に普段現れない家族が急に現れ、方針やケアに異論を唱えたり、延命処置といった積極的な対処の施行を主張する、といった状況を表現するために用いられているようです(近年では、ニューヨークから来た娘症候群、ともいうらしい)。
 離れて過ごす家族が単に我儘で理解が悪いわけではありません。予想以上に家族の調子が悪く、驚きや悲しみ、やり場のない怒りに苛まれてしまい、医療に対して予期しない・非現実的な要求を行うのでしょう。怒りは常に患者近くで支えられなかった負い目、つまり家族の調子の悪さを悲しむ他に、罪の意識に苛まれているのかもしれません。離れて住むが故に支援はできなくても家族の責任は果たしたい想いが強いことは良心の呵責と辛さを生じ、「病気を抱える高齢の親を家に放っている不肖の子供と周囲の人々に思われたくない。大きな病院に入院させてあげている孝行な子供と思われたい」というよう悩みをお話し下さる家族もいました。
 医療者ができること、悲しみにくれる家族の予期せぬ要求に医療者も驚くだけではなく、心情を察し支援のかたちを模索することでしょう。そして故郷を離れて働く医療者は、自らのことに置き換えると胸が痛くなるでしょう。そのような時には、家族としての責任をきちんと果たせるようにみんなで支援しましょう。そして自分のこと、私は両親の住む仙台に帰ってきましたが妻は京都出身(京美人、ヨイショ)、自分のことを棚に上げて…(ヨイショ)と言われない様に彼女の家族が大変な時は支援します(約束)。
 仙台は2040年まで高齢者人口が増加するため、この問題にこれからも悩むのでしょう。そして日本の家族や社会の形が変わっていくとともに、求められる支援の形も変わります。しかし患者さんにとってのベストはこれと常に決まったものではありませんし、家族の想いのもとに生きていく道を決めていくことが幸せな患者さんもいます。今も昔もこれからも変わらず、テイラーメイドの支援のかたちを患者さん毎に模索すること、そして仲間たちの家族の悩みにも気を配る必要性を改めて認識している帰郷になっています。

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